人間はクセのかたまり。思考回路はクセであり、よって、変えられると気づくまでの話
“無くて七癖”
とはよくいったもので、人間は本当にクセの塊だと思う。
クセ、または習慣ともいう事ができるかな?
そのクセ、その習慣や行動、あなたは、なぜやってますか?
あらためて聞かれれば、
「はて、なぜだろう?」
ということは日常で結構あるのではないかと思う。
例えば、私は以前、訳もなく悲しくなることが多くあった。
何かに押し潰されそうな、漠然としたプレッシャーだったり、職場で何気なく言われた一言が妙に引っかかり、ずっと悲しみが消えなかったり、腑に落ちないモヤモヤや、ふつふつとした怒りが居座りがちだった。
今も正直、その傾向は無くなったわけではない。
同じことを言われても全く気にしない人もいるだろうし、それはあなたの性格よ、と一言で片付ける事もできるだろう。
…。
本当に片付けられるのであろうか?
私はいやだった。
自分の、時に行き場のなくなるこの思考回路に、本当に飽き飽きしていた。
その思考回路のせいで、せっかくの休みも気分が晴れずに楽しめなかったり、いつまでも悲しみや怒りに心を占拠されるのは、本当に損だと思った。
まして、同じことを言われても気にしない人もいる、その程度のこと、と言えるようなことであればあるほど、私だけが気にする必要もないのではないか?。
それからだ。
少しずつ、根気よく、その一定の思考回路にはまったとき、気にしないで済む方法を考え、自分自身に訓練しだした。
幼いころから、何かの感情が心にいっぱいになって、ギャーと叫びたくなることもあった。(実際に人がいないときには叫んだこともある)
そのときの思考回路、その行き場のない回路の解きほどき方を、あ、また、この回路だ、これは自分の思考回路のクセで、自分で分かっているのだから、あえて同じ回路にはまらなくていいんだよ、と、何度も何度も自分に言い聞かせた。
すると、
ある日、ラクになった。
思考回路は単なる「クセ」だったのだ。
もっと早く気付いておけばよかったと思った。
今まで、その気持ちのせいで、どれだけの時間を無駄にしてきたのかと。
今日は、そんな話。
オチもなにもないけれど(笑)